-奥田先生は、休診日などに積極的にいろんな集まりに足を運んでおられますね。ご本もたくさん読まれて患者さんに紹介したり…。自助グループから学ぶという姿勢はわかりますが、そこまでパワフルに行動なさる原動力はいったい何なのでしょうか。
僕は昔から"実際に見てくる"ことが好きだったのです。学生時代も世界旅行をしていろいろ見てきましたけど、実際に見てみるのと、聞くのとでは違う。外国でも自分で行って見て、360度24時間そういうところにいて感じられるものと、テレビでちょこっといいところだけ報道されるのと、かなり違いますね。
-もともと、自分の目で見て、体感して、自分のものにするという姿勢がおありなのですね。
いじめに何を言うべきか
そうですね。映画でも、見ていて不思議なことがいっぱいあるし、どうしてなのかなという疑問点がいっぱいありました。それを自分の目で見てきたということです。当時、僕がまだ大学生のころは東西冷戦のころで、資本主義陣営と社会主義陣営が対立していたけど、ソ連の映画とアメリカ映画のなかで人間の行動の仕方、考え方が似ているなと感じていました。対立しているというわりには人間的には一緒なんじゃないかなと。行ってみると、政治体制の違いはあれども、キリスト教の影響があって人間的にはそんなに変わらないんだな、そんなことを思いましたね。行ってみないとわからない。東西ベルリンでも、西ベルリンと東ベルリンに入ると、似ているところと違うところ、報じられているところと報じられていないとこ� ��がある。そういういろんなことを感じてきました。
-社会主義陣営の国にも行かれたんですね!
大恐慌のドキュメンタリー
アメリカへ留学して、帰りはヨーロッパへ行って、フランス映画が好きで、フランスに行きたい、パリを見たいということでパリに2か月間いて、それから帰りは、どうせ帰るんだからソ連を通って帰ろうということで、パリからモスクワまでの電車に2日間乗って、モスクワでは1泊したのかな。で、イルクーツク、ハバロフスクに来て、最後はシベリア鉄道に乗ってナホトカまで行って帰ってきた。そういう旅をした。
-それって結構大変なことでは…。沢木耕太郎の『深夜特急』みたいですね。
あそこまでいかないけど、パリからモスクワまでの丸2日間の鉄道の旅なんて、本当にあのときでないとできなかった。フランスからソ連に入る前には客車ごと整備工場に運ばれる。ヨーロッパとロシアは線路の幅が違うから、下の車輪の部分をつけかえないといけないんです。工場に入る前に途中の駅で降りればよかったけど、駅を降りても夜だしと思って列車に乗っていたら、整備工場に連れていかれて、しまったなと思った。駅でぶらぶらしていれば、ほかの人との交流もできただろうに、整備工場のおじさんのロシア語なんてわからないし、何か言っても全然通じなくて…。
-好奇心が強くて、物事を追求して追求して…。
追求…、そう言われたらそうかもしれません。
-先生のクリニックのウェブサイトの中で、「自分にもいろいろ問題がある。ただ、まだアルコール・薬物依存症には至っていないだけだ」とご自身が書いておられますね。わたしはその部分にすごく胸を打たれました。
それは人間だからいろんな問題があるわけです。
-わたしたちは、お医者さんというとつい、神様みたいに思ってしまいがちですが、お医者さんだって人間なんですものね。
医者だってアルコール依存症になる人もいますし、薬物依存症になる人もいます。躁鬱病にもなる。
-医師と患者の関係を、人間と人間という部分を保ったままで築こうとしてくださる先生と、そうじゃない感じのする先生といらっしゃる気がします。
自助グループに教えてもらう立場になると、向こうが先生なわけだから。アルコールだと、断酒会とかAAの人たちに僕が教わって、こう回復するんだとか、こんなときは危ないんだとか、そんなことはみんな彼らから教わったわけです。自分が患者さんと関わりながら学んできた部分はありますけど、それ以外のところでもいろいろなことを教わってきたというのが実際です。
0 件のコメント:
コメントを投稿